音楽展

ブログです。見れば分かりそうなもんだ。

破滅の考察

気付かないうちに2月が終わってしまいました。

なんて余裕のあるふりをしつつ、本当はカレンダーを凝視していました。

 

受信しないテレビに映る自分は、いかにもどんくさく思えます。

世界の色は少し褪せていて、なんだか閉塞感を覚えます。

 

思い出の中にある幻のような記憶は、今でも僕に憑りついていますが、それが前を向く力なんかにはならないです。むしろ、大事なものを置いてきたような気がして、探しに行きたくなるばかりです。

 

これ見よがしに病んでみる…というのも、いい加減に下らない戯れに思えてきたし、なにより正義を重んじる人であろうとすることが大切、というのも信用に足る言葉ではないです。ですが、過去に生きているとしても、死んではいられない。

 

どこかに誰かを閉じ込めて、卑怯な愛を囁くだとか、犯罪者めいた思想も今は特に思い浮かばず、変態チックな下ネタの類も冷静に見ると面白くありません。

他人と関わりたくないという気持ちも、少し外に出るくらいで無残に崩れ落ちてしまいました。今では人並のフォビアを往来で隠すのみで、そんな自分が大して面白い人間ではないということも理解してしまいました。

 

なんと、今の僕は社会のために働いても別に良いと思っています。これを適応と言えば聞こえは良いですが、ある種の疾患というか、凡庸になったというか、あの思考がめちゃくちゃだった時代も今は昔、言葉や仕草にその名残を残すのみです。

顔つきは男前だと言われることが多いですが、それはきっと引きこもって自己流の2番煎じ哲学を転がしていたからではないでしょうか。

自分をハンサムと表現するたび、打ち消さずにはいられなかったというのに、()のような注釈もつけずにスルーできてしまいます。変化というのは、俯瞰というのは、慣れというのは、とてもつまらないと感じました。

 

つまらなくなったとは停滞したと同義だと思います。停滞の先には破滅しかありません。

僕は、自分から破滅に向かうような真似はしたくありません。