みのミュージック最新動画への批判
以下は僕がAIに投げた質問のまとめですが、AIの回答はコピペしていません。どうせ全肯定とオウム返ししかしないんだから、AIなんか。話しやすくしてくれてるだけ。ありがとう。
こんなもん公開していいか知らんけど、誰も見ないと思うよ。
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アーティストのイデオロギーが産業構造に負けるパターン。
↑この言葉を聞いて、どういう事例が思い浮かぶ?
異端児として業界に入ってきた人やグループが、いつの間にか「異端児」という異名を与えられてポジションに収まってるのが嫌いなんだよね。
でも、本当に異端児だったら業界から追い出されるんだよね
飼い慣らされた異端児本人の態度っていうのも、最近はすごく気になる。
現代のファンダムって、本人のスタイルを肯定しがちだよね。すると異端児が自ら求められるポジションに嵌っていって、しかもそれに無自覚でいる。
本人がスタイルと求められるものに違いを感じてるならまだ良いんだけど、その摩擦が起こらないまま嵌っていくパターンが増えてる気がする
当初の活動が尖ってて好きだった人が、だんだん摩擦のない異端児ポジションに行きそうで不安。
今は炎上してるからまだ良いのかな…と思うけど。ポジション化はしてほしくない
その人は音楽関連で稀有なファンダムを作ってる人で、本人の活動もマニアックではあるんだけど、なによりファンがマニアック内容を活発に交わしてたんだよね。
ただ、最近「原作リスペクトを前提にした音楽消費は、作品の本来性を損なう」って論を言ってて。納得する部分はあるけど、個人的には時代の流れとか、ボカロなどに親しむ若年層のフレッシュな見方 Vs. 彼のような古いスタンスの衝突に見える。個人としては古いスタンスに全面的に賛同するけど、それがすべてではないと思う
彼自身は「タイアップ文化の否定はしていない」と、タイアップの歴史的な価値を過去の具体例などで提示してる。
で、「アニメを下に見てるわけじゃない」とも言ってるんだけど、これは彼を批判する新規世代寄りには通じてないと思う。潜在的にアニメとタイアップ音楽を個別に切り分ける、対立的な見方を提示してるわけで、それらが融解してる世代に対してはいくら説明しても伝わらないだろうと思う
ある意味で彼の活動が常にオールドメディア的だったんだな、とは思う。
扱うバンドはビートルズから米津玄師まで、はたまたもっと古い音楽を紹介したり、一方で最新音楽の情報をショートで流したりとフレッシュさも見せてた。
でも、ルーツ主義な考え方を前面に押し出すスタンスが、どうしようもなくオールドメディア性を含むのかもしれない…と
フランツ・カフカ式の文章構造
ハムスターになりたい。室内ペットになり、お世話好きな女の子に飼われたい。
そうすれば、僕はいつでも可愛い女の子に話しかけられ、愛でられ、心渇く隙間なんてなかろうと思います。充実した毎日。渡される適度な餌。毛並みは手入れされ、相応に太り、優しい空気に獣心を癒やされる。
しかし、僕は残念ながらハムスターではありません。ハムスターならどれほど良かったか、考えは止まぬほどですが、すべては徒労です。僕はハムスターではありません。
では、仮にハムスターならば上述の願望をすべて満たせるでしょうか?いいえ、無理です。僕などがハムスターになって生まれ落ちても、事態が好転することはない。路地裏に置かれ、じきに飢え、死ぬでしょう。雨に降られては、ジッと固まって、寒さに凍えながら、この世を知らずに死ぬでしょう。
もしも、死ぬ前に女の子が見つけてくれたら?
そうなれば願望を満たせるでしょうか?いいえ、無理です。
その女の子が面倒を見てくれる保証はない。一時の同情、そして好奇心に呑まれ、僕という命は弄ばれるでしょう。しょせんは小動物、ケージの中に一たび入れば、後のことはコントロール不可能。やがて死にます。
童女の寵愛は三日も保たない。飼われ、空腹以外の心地を知り、また空腹になれば、今度は満腹の夢を見ながら死ぬことになる。知ったゆえ、余計に辛い。こんなことなら、なにも知らずにいたかった。理不尽とすら感じる。理不尽を覚えるだけの知覚を得た不幸すら感じます。
もし童女の忍耐力や責任感が、予想より強かったら?だからなんだというのですか。同じですよ、結果は死です。童女になにを期待しているのですか?童女がハムスターたる僕を救えるか?
そもそも論、僕などがハムスターになってみなさい。日に一度も車輪を回らず、思い立ってはケージの外を眺める、ナマケモノ以下の省エネ生活を送るでしょう。僕は、なにも行動を起こせない。行動を知らないのではなく、知った上で、次の経験まで知り抜いているから、行動できない。しかし、それは結局、傍から見れば行動しない阿呆なのです。そう見られることさえ、僕に行動の力を起こさせない。ハムスターとして生まれたところで、僕には生命のエネルギーが足りないのです。
否、仮に生命のエネルギーに満ち溢れた転生体、活力に満ちた脳を得たのなら?無邪気に車輪を回る健康な脚を得たのなら?そして、すべての幸福を与えてくれる飼い主に恵まれたなら?僕はきっと、初めて人生を愛することができるでしょう……だなんて、またしても否。同じことです。今まで述べたことは、すべて嘘です。
僕は幸せなど感じる能力はありません。不幸になることしか能のない男です。ハムスターになろうとも、本質的に変わりません。これは脳の問題ではないのです、魂の質の問題なのです。どのパターンを引こうが僕は永遠に陰るだけの魂です。三等分しても、四等分しても、パーセンテージにしても、なんにしても、どうしようもなく陰る。陰るために生まれてきて、これからも輪廻の中で転がされ続けるのです。
以上を持って、僕の妄想はなにもかも徒労であるということが理解いただけたかと思います。そして、以上はすべて、あなたの存在に満遍なく当てはまることです。残念ながら、あなたは僕の妄想そのものです。掟の前に跪きなさい。手を合わせなさい。目をつむり、次の妄想を願いなさい。願え。願え。
ドスケベな思索家
最近、成人向け低俗小説の調子が良かったり悪かったりする。
シリーズ連載を始めた途端、なんと評価がうなぎのぼりで、すっごい色んな人に見られたりとか、大尊敬している作家さん数名からもリアクションがあったりとか、とにかく色々と羽振りが良かった。
だが、二週間後に続きの二話を投稿したら、そっちの評価は大して良くなかった。
「期待してます!」
「早く続きが読みたいな♪」
と、コメントしてくれた人々は、第二話にはまったくコメントも付けなければ、ブクマをするでもないし、まともにリアクションなどしなかった。
なんて自分勝手なんだろう!
俺は絶望した……お前らの期待に応えるために書いたってのに、なぜお前らは……俺はお前らのためを思って書いたってのに、せいいっぱい媚びたのに、なぜに……?
違う角度から考えよう
いや、でも、本当は読んだのかもしれない。
読んだ上で「あんまり面白くなかった……w」っていう、期待外れだったよっていう意思表示なのかもしれない。
いやいや、それはそれで酷すぎる……なんで優しくしてくれへんのや、俺かて無償でお前らのために知的レベルを落として低俗小説に精を出しているんやで。
本当は俺、すげー頭もいいし、ルソーの社会契約論とかを読破することも可能(してない)だし、最近のマイブームはフランス革命の深堀りなんだぜ。
ルイ16世は良王だったのか?っていうテーマで色々とAIに質問したりとかして、独りで考えを深めて遊ぶほどには知的な人間なんやで。
うおお、いくらなんでも知的すぎるだろ……!
とても成人向け小説なんかにお熱するような、品のない人格には見えないぞ。
期待とプレッシャー
よし、少しエロ持論を語ろう。
エロにおける『期待』とは、快楽への予測のことだ。
例えば、男は女の人の胸を眼前に差し出されると、その膨らみ(貧乳も含む)に夢中になってしまう。
これは、胸を見ることによって無意識的に先の展開を期待するからである。
妄想と言い換えると分かりやすいだろうか。
胸を見たら、男はその胸を自分の手で掴んでみたいと考える。
実のところ、そこにこそ快楽の本質があるのだ。
人は妄想によって満足を得て、妄想によって渇望を感じるのだ。
その渇望を満たすため、さらに妄想を進めるのである。
ここまで言えば分かる通り、思索家にはドスケベに必要な能力が十分に備わっている。
つまり、頭の良い人間というのは高確率でドスケベなのだ。
なぜなら、彼らは一つの些細な妄想要因から、数多の妄想を展開できるからだ。
ゆえに変態だ、そう相場が決まっている。
(ここまで書いてAIにタイトルを決めさせたところ、候補に『ドスケベな思索家』という思考実験みたいなタイトルが現れたので、それに決定した。AIは優秀だ)
妄想から得られる栄養は、非常に甘美なものだ。
そして背徳的であり、禁忌感に溢れた至上の悦楽である。
世の犯罪者は、この妄想に突き動かされ、実際に性犯罪にまで走ってしまうのであろう。
だが、俺から言わせれば、妄想をただちに性犯罪へ転化するなど愚かしいことだ。
性犯罪として具象化した瞬間、妄想は相対性理論に妨害される。
要するに、相対性理論は邪魔なのだ。相対性理論は現世の法律だ。忌まわしい!
妄想は、誰にも侵されない安全な脳の中で、少しずつ育てていくことで、いざなにか発表の場に出くわした時に、とてつもないエロスを発揮するのである!
エロは、醸成しなければならねぇのだ。
いうなれば、育成。教育。妄想は誇れるほどに膨らまして、初めて美しくなる。
そもそも、法律とはそのためにあるのかもね。
妄想は公表を嫌う。
自分の中で経験し、名前のない想いに耽溺し、ひたすらに希う……その童貞……じゃなくて道程にこそ価値があるから。
しかし、人は誰かと経験を共有したがる生き物だ。放っておけば、大して成熟もしていない妄想を、軽々しく人に話してしまうだろう。
すなわち!
公表を抑えるのが法律!
犯罪である、禁忌である――そう決めつけることにより、妄想の価値を極限まで高め、どこかアンダーグラウンドな世界で一気に爆発させる、そのための!!
そのための法律!!
法律は、ド変態がド変態らしく生きるための、重要なルールさ。
ド変態=犯罪者ではないと、法律は分かっているからこそ、あえて厳しくしているのさ。
すなわち法律は教育的。
「貴様の素晴らしい妄想のために、我、抑圧《プレッシャー》として存するなり」
それが断頭台に立った法律の、最期の言葉だったかもな。
俺も断頭台に立ったら「サンキュー法律」って言う。
すなわち、期待とプレッシャー
確かに、俺は読者を失望させたかもしれん。
読者が読まなくなったのではなく、俺の文章能力が読者の妄想を引き立てられなかったこと……ええ、重々、承知の上です。
見限られることも、甘んじて受け入れましょう。
だけど、書いたことを後悔はしませんよ。
少なくとも、あの一話の反響…………あの時、みんなは俺の妄想を享受して、各々の期待に胸を躍らせたに違いないのだから。
妄想……それは素晴らしい行為だ。
コメントしなくなったのも、お前らが妄想に躍起になって、文字なんか打ってられなかったのだと、そう解釈してあげよう。
ほら、次の妄想を爆発させるのはお前らだぜ…………エロにもコンテンツツリーは存在してるんだ……俺の妄想を引き継いで、屍を超えていけよ……!
躁でやれることをやり、鬱で無責任になる
そういう状態になった以上、もう余計なことは考えるだけ無駄である。
人生とは丸ごと空想なのだから、被害者面はするだけ無駄だ。空想の中でくらい、勝手に生きてもいいんじゃないか?
甘えるなとか言うやつもいるが、そいつはただ自分がなにに甘えているかを自覚していないか、あるいは甘えようとする他者に嫉妬しているだけだ。
基本的に、人は甘えられないのが辛いのだ。孤独が恐ろしいのだ。悪徳は孤独から端を発するのだから。
無論、無責任になったとて、すべての責任が放免になるわけではない。
どちらかというと、「俺のことを許して」というマインドではなく「俺の非じゃねぇんだよ」というマインドだ。
その態度によって受ける罰はあるかもしれない。まあ、しょうがない。それも受けるがいい。責任を負えないなら、その代わりの罰を受けるのだ。罰を背負いきれないと思うなら、自分のためにも、最初からやらないほうが良い。罰から逆算して、「まあこの程度だろ」で適当に行動するがいい。
この程度だろの目算通りに罰を受けて、それで許されるならバンザイではないか。許してくれてありがとう!という話だ。罰すら与えられなくて、許された気がしないというなら、それ自体が罰なのだから、お前はすでに許されたも同然である。
人生と小説は同じだ。同じだから、人生は小説を模倣しうるし、小説は人生によって形作られる。イコールの関係だ。だから、色んな小説のマネをして、やりたいように生きろ。世界に甘えろ。わかったな、このボケが。
分断感
現代は分断の病に陥っている。
俺は時代の被害者であり、2年前ほどから徐々に躁鬱を発症し、年々酷くなっているのを昨日くらいに自覚した。
そして、ただいまバイオリズムが躁に振れている。
客観的に見て、この躁鬱は治らないであろう。
俺には治る環境もなければ、自身の状態を自身の力だけで周りに伝える技術もないからだ。
ただ、鬱の世界は沈んでいくだけである。浮上の夢などは見るだけ無惨なものである。せめてもの救いを求めるなら、タナトスに従って死んでみるがいいだろう。
俺が死のうが、お前が死のうが、世の中は変わらない。死は世の中にとって一般的なことで、個人にとってだけ特殊である。もし社会性に囚われているなら、停止した生というフィクショナルな世界観を逸脱して、死によって現実へ回帰することを強くオススメする。無論、死んでまで社会復帰するのはバカバカしい事だが、自分の命は自分で削るほうがマシだ。
分断されざるを得ない。
俺はすでに社会的意義を大半失って、存在を否定されるだけになってきている。ここから理解されようと考えるだけ、徒労に思える。
所詮、他人は他人に過ぎないのである。
現代では、人の輪はテリトリーを守り、新たな輪の歓迎を良しとしない。文化的に繋がろうという気は一切ない。ただ、内部に直接落とし込まれた要素だけが、無機質に消費されていくのである。
まあ、抽象論で説明するよりも具体例を上げるが良かろう。
近年、動画の切り抜きが流行っている。
クソガキはタイパという言葉を使って切り抜き文化を説明しようとするが、結局はあれも分断のひとつだ。
動画内に存在する深さを抽出しているに過ぎない。
言い換えるなら、グラデーションの一部を指定して、その指定部分だけを味わっているに過ぎない。
生成AIなんかにも同じことが言える。
今の時代、テキスト・画像・イラスト・音楽など、なんでも生成できるわけだが、その生成に使われるのはプロンプトだ。つまり、文化から抽出された要素。文化を形成している一部分を使って、近似値的なものを生成している。
いったん感覚の話に戻させてもらう。
オリジナルのコンテンツというのは、特定の言い表せない空気感を内包している。
対して、AI生成された近似値コンテンツからは、その空気感は失われる。
これは好悪や善悪の問題ではなく、ただ質感に差異が表れるというだけのことだ。
ひょっとすると、AI生成を享受するユーザーは、オリジナルの持つ空気感に価値を感じていないのかもしれない。そのことにユーザー自身が自覚的か否かは関係ない。彼がオリジナルに求めているのは、あるひとつの要素であって、総合的な独自の空気感ではないかもしれない。
仮にそうであるなら、オリジナルとはもはや不純物の塊であり、一気に価値を落とす。オリジナルは様々な角度から要素を分解され、分解された要素は一人歩きし、他の分解された要素との再結合を繰り返す。
そして氾濫するのは、深みを失った表面的なコンテンツ郡である。これらは表面的で不連続な要素と結合し続けたため、コンテンツとして停止している。不連続の産物が、孤立した状態で浮かんでいる。このコンテンツには歴史などなく、伝統もないため、ただの表面的な再結合でしかない。
言葉もそうである。
現代は語彙力という言葉が誤解されている。
語彙力というのは、単に言葉をたくさん知っていて、いつでも濫用できる力ではないはずだ。
そもそも言葉とは、原始的に向かう先を持つものではないか。自分のために扱う言葉は、単なる遊戯ではないか。
要するに、言葉を相手に伝わるよう扱うのが語彙力である。
それらしい言葉のニュアンスだけを歓迎し続けるから、不必要な言葉が増えるのだ。よりセンシティブな言葉だけを好んで、それを扱うことで元来の表現を淘汰した気でいるのか?言葉に優劣を付けて、流行に乗ろうとしているのか?流行に乗るたび、個人が淘汰されていく事実に気付くがいい。
さよならだけが人生だ。
だが、さよならの持つ価値さえも、今は矮小なものである。
個人は個人の世界に、徹底的に籠もり続けて、さよならを忘れていくだろう。
それもいい。所詮は交わらぬ運命なのだよ。
俺達はもう、傷付けられるのに慣れてしまったのだよ。
じゃ、さようなら。
不安定な毎日
この記事のタイトルが曲名となっています。
半生を反省
半生を反省、なんちゃって。
ダジャレだ。人生は丸ごとダジャレみたいなものだ。下らん事だ。投げ捨ててお終いだ。好きなだけ棒に振れ。だから早く役をくれ。低次元の芝居はよせ。
小説のために必要な仕事だった。
要するに、僕は自分の思い出たちを客観的に整理することで、自分の人生の下らなさとか、自分のクズ加減なんかを再認識したに過ぎない。
こんなことをするんじゃなかった。
己がどれだけ美化されていたのか、改めて分からせらられられらた。分かりたくもなかった。
ええ。どれだけ下らんか、数字で教えよう。10段階評価の3だ。悪い。5段階評価なら2だ。差が小さいだけ、5段階のほうがマシだ。だが低評価だ。
屈託のない惨めな気持ち。今も昔も、光に手の届かない僕。無駄な厭世観。
嫌になる!嫌になる!嫌になる!
この記事を読んでいる君は、半生反省なんて絶対にやらんほうが良いよ。
この記事を読んでいる君?
読むとしても、どうせ友人しか読みはせんだろうに。
いまさらだが、こうしてネットに文章を漂わせる行為は、どんな欲求から始まるのだろうか。
承認欲求だろうか。承認欲求モンスターだろうか。
否定しないよ。だが、承認欲求なんて、慣れてしまえば手懐けるのは容易い。
最初から読まれることなんて期待しちゃいないのだ。
ネットの人たちに無視された年月が段違いなのだ、僕という人間は。
これは一種の誇りだ。
誇りということにして、無様を通り越す。かなり前に通り越した。
むしろ、なんかアクションがあったら驚いて、逆に疲弊するくらいだ。
僕は確かに人気者になりたいのだが、一過性の人気ではなくて、持続的な人気が欲しい。
一過と持続
こんな時代だから、一瞬だけ有名になることなんて、運が良ければ可能だ。
実力もまあ最低限はいるかもだが、極論、たくさんの人に自分を見てもらえるというチャンスさえあれば、ある程度、有名っぽい感じになれるのだ。
だが、人気を持続させることは、一瞬だけ注目されることとは一線を画す。
ずっと自分に注目してもらうというのは、なかなか難しいのである。
運だけでは厳しい部分があるのだ。
頑張らなきゃいけないのだ。なにが頑張らなきゃだ。んなこと知るかい。へん。
でも、ずっと人気になりたいなら、相応に頑張らなきゃならないようだ。
これは肌感だ。
こんな事実を感じ取る肌なんて、僕はいらなかった。
もっと自分に都合の良い事実だけを感じ取る肌が欲しかった。
保湿が足りなかったのかな。
白人に生まれれば良かったかな。
んなこと的外れだ。些末なことだ。下らんことだ。
話は半生反省へ戻り、僕の初恋について
自分の
例えば、君が夢の中で少女に恋をしたとするだろう。
夢の中で彼女と遊んで、笑い合ったとするだろう。
時間感覚を忘れた永遠の世界で、なんだかもう覚えちゃいないけれど、それはもう素晴らしい体験をしたとするだろう。
で、あくる朝、目が醒めた。
死にたい。
ていうか、もう死のうかな。
死んでもいいんじゃないかと思う。
生きていたくないことが、死んでもいいことに繋がる。直通。安易な逃避。
実際、死んでも変わらないのだ。
なにがだ?
なにもかもだ。
自分の死がなにかに対する切り札になることなど無い。
母なる大地に血を返却する。魂を空へ還す。虚無に溶ける。
やたら明日に想いを馳せるから、惨めったらしく生きようなんて思うんだぜ。
生きよう、生きようという健気な掛け声。自分の意思で今を生きることは、それだけで前進だ。美しいものだ。
なんだ、僕は、生きるのを惨めと思っているのか、美しいと思っているのか、よく分からない。
ほとほと呆れるよ、生活の厭らしさには。
な。
話を戻すよ。
最初の初恋の話に、戻すよ。
……だから、僕はもう一度、同じ夢を見なければならない。
少女に会いに行かなければならない。
たとえ相手が待っていなかろうと。
ていうか、少女だっけ、だいたいが少女だっけ?
もう顔も声も覚えていない。
二次元っぽかったか、三次元っぽかったか、それさえも曖昧なレベルだ。
男だったかもしれない。
知人だった可能性もある。
でも僕、一人の人間に焦がれたことは、あまりないのだが。
コンタクトの取れない、生きてる世界が違う人に憧れることはあれど、身近な人に対して愛とか感じたことないが。
僕は、恋愛はズブの素人だ。
生粋の不良少年だから、愛なんて知らないね。
愛がどうとか語り始めたら、そいつはもう宗教家か二次元オタクだ。
信用ならんわ。
( ゚д゚)、ペッ
空に吐きしツバ、我が身に齎される
バカな。
これが因果応報か。
distorted circle(rearrange)
これは良い出来じゃなかろうか。
って、自分で言ったらあんまり良くないかもしれんな。
だってアレじゃん、良くないって言われたら辛いじゃん。
でも良いよね。
ところで、3分の曲に3分の文章を書かないといけないわけ?
僕とて暇じゃないんだ。
詩で代用しよう。
波紋。
霧雨が路地裏を覆っている。肌に伝う冷気が、青褪めた世界を鮮明にする。
灰色の地面を打ち付けて、微かに漂う雨の匂い。家の戸。ゴミ箱。崩れる波紋。
地面と同じ灰の壁が、大きく天へ伸びる。曇天を見ると、まるで天井のない箱のよう。
幻のような光景だった。そして私は、冷えていく体温に震えていた。