音楽展

ブログです。見れば分かりそうなもんだ。

躁でやれることをやり、鬱で無責任になる

そういう状態になった以上、もう余計なことは考えるだけ無駄である。

人生とは丸ごと空想なのだから、被害者面はするだけ無駄だ。空想の中でくらい、勝手に生きてもいいんじゃないか?

甘えるなとか言うやつもいるが、そいつはただ自分がなにに甘えているかを自覚していないか、あるいは甘えようとする他者に嫉妬しているだけだ。

基本的に、人は甘えられないのが辛いのだ。孤独が恐ろしいのだ。悪徳は孤独から端を発するのだから。

 

無論、無責任になったとて、すべての責任が放免になるわけではない。

どちらかというと、「俺のことを許して」というマインドではなく「俺の非じゃねぇんだよ」というマインドだ。

その態度によって受ける罰はあるかもしれない。まあ、しょうがない。それも受けるがいい。責任を負えないなら、その代わりの罰を受けるのだ。罰を背負いきれないと思うなら、自分のためにも、最初からやらないほうが良い。罰から逆算して、「まあこの程度だろ」で適当に行動するがいい。

この程度だろの目算通りに罰を受けて、それで許されるならバンザイではないか。許してくれてありがとう!という話だ。罰すら与えられなくて、許された気がしないというなら、それ自体が罰なのだから、お前はすでに許されたも同然である。

 

人生と小説は同じだ。同じだから、人生は小説を模倣しうるし、小説は人生によって形作られる。イコールの関係だ。だから、色んな小説のマネをして、やりたいように生きろ。世界に甘えろ。わかったな、このボケが。