僕ら、なぜ自由になれないのですか。
僕ら、なぜ自由になれないのですか。
僕ら、なぜ自由になれないのですか。
自由になるための不自由ですか?
それは不自由ではないのですか。自由とは不自由ですか。
不自由こそが自由だと、そう考えるのは自由だ。だが、不自由は不自由であって、自由とは対比されるべきものである。それこそ、決まりの上での自由とは、不自由の謂いかもしれない。それとも、それを以て自由とせられるべきかもしれない。そうじゃないかもしれない。
自由を自由と呼んだ際の、このへばりつく唾液の不自由さはなんだ。呂律を回らせぬつもりの唾液か。不自由か、自由なのか。たった数行だけ書いて、この自由が語れるか?強烈な自由への渇望と、まとわりつく不自由、そして這いつくばる自由。檻に中へ放り込んで、初めて自由。僕の自由を自由と呼んであげると、それが不自由への第一歩なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。いずれにせよ、自由は自由として自由に振舞うべきであって、決してルールに縛られてはならないし、また、ルールによって成り立ってはならない。ルールは自由を遠ざけなければならない。なぜなら、自由と共生するルールはルールと呼べないし、ルールと共存する自由は自由と呼べないからだ。
僕ら、なぜ自由になれないのですか。
僕ら、なぜ自由になれないのですか。
僕ら、なぜ自由になれないのですか。
僕
ら
、
な
ぜ
自
由
に
な
れ
な
い
の
で
す
か
。
自由について考えると、不自由が目についてしまうよね。
だから銃。自由は銃。10数える間に、獣を銃で蹂躙する。そして肉をジュー。これ自由?いや、不自由。でもなんだかんだ、感覚的には自由。重畳。