音楽展

ブログです。見れば分かりそうなもんだ。

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鋭い曲ができました。シャープ!頭の中にイントロのテュッテュルが出てきて、だいたい1時間くらいで作りました。後半はテンポ150の気に入ってたリフを240にして、めちゃくそ強引に連結してます。

1分あれば読める文量ってどれくらいでしょうか。と思い立って、試しに太宰の「秋」を読みながら測ってみたところ、どうやら895文字くらいのようです。まぁまぁ書かないといけないなー。

試しに文脈をめちゃくちゃにして、一回読んだところをもう一回読ませて、時間稼ぎしてやろうか。本を読んでいるとよくやっちゃうんですよね。途中で別の事を考え出して、周りの風景が気になりだして、アレがやりたいとか、コレがやりたいとか、暇だから読み始めたはずなのに、いざ臨んでいる最中になぜ浮かんでくる?用事の数々。今は邪魔だから、どっか頭の遥か彼方にすっこんでろ。

 

なんの脈絡もなく、死について考察し始めたりする病気ってあります?

僕は死を救いだと思っていて、でも所詮はそれも拙い切り札であって、バイト先での会話に紛れた生存欲に霧散していく程度の、箱に収まった暴れない暗闇に過ぎず…

みたいな。こんな感じで。基本は「ああ、これ以上考えるのはよそうかなぁ」ってなって、ぎりぎり生き延びるんですけど。もし仮に、自分が目の前に地獄を描いて、そこに予備動作なしで耽っていたら、皆さんは気付くことができるでしょうか。最近気づいたんですが、そういえば文章を打つ速力は、思考の速度に負けているんですよね。つまり、僕がこうやって、出来る限りの速さでもって指を動かしたところで、結局は意識を通じて整理整頓された文であるということです。天才の指使いはおそらく光の速さなのでしょうね。ついでに頭の回転も光に追い付いちゃってて、彼らは時間と完璧に並行した次元に生きているのでしょう。だからあんなに時事ネタ拾うのがうまいんだ。

ジジイになって衰えると、流行には疎くなるそうです。人間はどんどん時間に置いて行かれる生き物であるが故、身体の鈍りとは即ち、生命の鈍化なのでしょう。考えるスピードだけでなく、物事を処理するスピードなんかも、全然冴えなくなっちゃうんです。

こ「こ」で895文字です。「こ」のところで。いかが?

Hlidskjalf

まあまあ昔の曲です。上げていたサイトが消え、未発表の状態になっていたので出しました。

チャンネル作って、ラジオテストしてみました。なにを隠そう、これの報告のためにわざわざ音源を持ってきたんです。以下

ながとりゅうのすけ - YouTube ←ココ

 

以降、このチャンネルはひっそりと運営していくので、こっちでは一切取り上げません。豆腐のように硬い僕の意志に誓う。僕は豆腐の角で死ぬ。

文章と喋るのとでは全然違うので、なかなかうまくいきませんでした。もう少し気取ったことを言うつもりだったのに、まるっきり初々しくなっちゃいました。そんなことを自分で言っちゃいます。ああ恥ずかしい、恥ずかしい。

このチャンネルこそが我がフリズスギャールヴなのだ。じゃあ元の場所は?もちろんただの故郷であります。

 

そうか、僕は曲作らないとブログ書けないのか。面倒くさいなぁよし、頑張ろう!

Last scene by Death machine

 FF1においては、デスマくんはなかなか希少なモンスターです。会うのに苦労した覚えがあります。やったのは3DSバーチャルコンソールだけど。

ラジオの件、ちょっと考えたんですけど、結論が出てないから考えたうちに入らないですかね。とりあえず、考えました!ということを誇示させてください。

仮にやるとしたら別のチャンネルを作ります。今のチャンネルでも曲に対するコメントが頂けるんで、やっぱ爆破するのは惜しい。コメントがあるかどうかはモチベーションに関わることだもの。あと、何気にあのチャンネルは開設して3年くらいやってるからね。え?登録者様の数なんて興味無いけど。2桁までしか見ないんで。数字に追われて作るとか辛いし、まず僕にそういう迎合能力は無いです。流されることは多々あるが、時代の流れに乗るなんて不可能。見えない流れ、龍脈である。

そういえば過去に2回ほどニコニコ生配信をしたんですが、緊張の度合いがヤバかったです。一回目は3人の視聴者さんがわりとコメントしてくれて、二回目は15分くらいやった後に1人来てくれて。無人の15分間は、spotifyで流してる曲に一人で茶々入れてました。

どっちも30分で終わりましたけど、あれを思い出すと怖いよなぁ。ほんに、行動の勇気を持とうと焦るばかりです。大手配信者しか見ませんけど、ニコ生配信者って凄く憧れます。思うまま好き勝手に喋ったら、喋った分だけ周りの連中が騒ぐんですよ。ああ、あんな能力を手にしたらば、僕は世界を変えてしまうかもしれない!(飽くなき可能性)

ネットと社会

僕の目の前にはパソコンが一台あるのみ、それ以外にゃなにもなし。とどのつまり、この箱自体はネットではない。ネットは概念。

ネットサーフィンにまつわる要素を波とボードに見立て、あえて例えるとするならば、URLリンク=波。もしくは、掲示板の言論=波。ボードはネットリテラシー?むむ、あまり上手くいかないですね。思うに、現実とネットの相関を考えるのに、ネットに公開する文章を打っていること自体が論理の混乱を招く。本当なら個人的に考えて、ある程度まとまったモノを提示するべきでしょう。でも、そんなことにプライベート時間を割くなんて、アホではないの?僕ぁゲームやってる方が楽しいんだけどねぇ。

一口にゲームっつっても、色々。ネットゲームとかもあります。ぷよぷよで対戦して負けた時、露骨に腹が立っちまうんですけど、現実に持ち越さないように努力しています。ちなみに、勝ったら機嫌良くなってSNSでのウザ絡みが増えます。

よし、1000文字書いた。この調子で喋りゃあいいんだな、よーし。

music:01 「Thanatos」

なにが01じゃい、初めて作ったみたいな顔しやがって!

ということで、音楽展の方針はこんな感じに決まりました。Youtubeを使うくせに、動画がまったく動かないのを気にしために。

ちゃんと曲が貼ってあるの凄くない?まぁ僕の力じゃなくて、他のユーザーさんの記事で紹介されていた方法を丸パクリしただけなんすけど。調べたのが凄いというなら、些かハードルが低すぎるような…でも、ことあるごとに自分を褒めましょう。親の仇の如く凄絶に褒め千切って、終いには褒め屠って差し上げましょう。

 

ということで、Youtubeチャンネルの方は…なんか適当に運用しよう。でも、外部サイトに誘導するのはYoutubeライセンス規約に抵触するらしいんだよなぁ.どうしよう。

兼ねてから考えていたネットラヂオでもやろうかねぇ。台本用意して、なんだかんだ喋っちゃいますか?マインスイーパーでもしながら。動画が動いてないとダメだからね。

 

Music story

この項では、music story...つまり、曲の話をします。清聴してね。ひとつ言わせてください、松本清聴してね!すっきりしました。

Thanatosって言えば、もちろんタナトスですね。中学生の頃から、この言葉に興奮してきました。デストルドー?そっちはダサいなぁ…やっぱりタナトスですね。

意味は「死の本能」とか、そんな感じ。自ら死に向かおうとする行為が、生を実感するために必要になる状態です。自己解釈ですけどね。

 

死は否定されるべきだと、一般的には目の敵にされているもの。生活のためのリストカットを社会問題として取り扱うのも、世間の死に対する理解の足りなさからでしょう。

まぁ本質的に死を理解するのは不可能ですが。無暗に遠ざけて、それで安心!という類の、単なる思考遊戯の玩具では決してない。

死ぬだのなんだのと喚いている人間を見ると、僕はちょっと安心してしまいます。だって、自分も密かに生を遠ざけようと藻掻いている人種だもの。

手始めに孤独だの闇だのを好んでみたり、ダークファンタジーへ傾倒してみたり。最初の一歩は随分前のことだったのですが、未だにダークサイドなど進めている気がしない。進むのが怖いし、実は引き返していると思う。闇の中は前後不覚ですからね、後ろが前になっても仕方ないですからね!(走光性の虫を思わせる姿態で)

巷で目障りな夢や希望がちらつくほど、それを手にすることが出来ないと思うほど、なにも見えない場所に帰りたくなるんですよ。広告の街を破壊したい、この攻撃性が自己矛盾の末に破滅願望へと繋がるのです。甚だややこしい手順で!

見たくないなら、壁を隔てて歩けば良いじゃない。今の僕はそっち派です。

 

車のクラクションがうるさい、雑然とした街を行く。そんなあなたを勝手に主人公にして、しめしめ傍観する僕。ああ、彼(彼女)はなんて格好良いの。その風体を持て余しても、どうか暗殺されないでね。来る未来に備えて、ちゃんとボディガード付けてほしい。

空の破裂

当たり前の日没

恋愛論が面白かったので、坂口安吾にハマってました。あーいう鋭い視点から批評するのって、憧れちゃうよなぁ。

作家特有の叙情を逃さぬ視線。写真から伝わってくる、あの殺人的な眼光に惚れちゃいますよね。三島由紀夫なんか特に力強いです。でも僕は太宰治が好きです。

 

ネットに個人の日常を曝け出すことは、考えも及ばぬほど、とてつもない危険を伴う…という事実を理解しつつ、実は理解しきれないで言います。車の免許を取りました。

まぁまぁ大変だったけど、でも頑張ったので凄く楽しかったです。いや、小学生の作文じゃありませんが。実際、思い出は大抵の場合、美化されるでしょう?

まだ試験は終わってないんですけどね。合格したら手元にやってくるので、それまでの辛抱。つーか勉強しねーといけねーの、忘れたふりして覚えてます。習ったことを完璧に覚えた!という妄想を土台にした、言い訳ばかりのエブリデイ。言い訳だって、たまには自分の心を救ってくれるものなのです(なにを隠そう、これは言い訳に対する言い訳である)!

 

90日間更新していないブログには広告が付くということで、まぁなんかついちゃってました。なにを広めたいのか知りませんが、僕は求心力のある記事なんて1つとして書いてないし、貼る必要性をまったく感じないが。広告AIくんはもっと考えて行動した方が良いよ。有限の人生を大切にしようよ、もっと。

僕はAIを論破することに本気を出せる男です。しかし、その本気は自らの制限された能力からひねり出し、且つ、脳による錯覚に基づいて表現される本気であります。僕はまだ本気をだしていないと、暗に申し上げている旨は伝わりますでしょうか。