音楽展

ブログです。見れば分かりそうなもんだ。

躁でやれることをやり、鬱で無責任になる

そういう状態になった以上、もう余計なことは考えるだけ無駄である。

人生とは丸ごと空想なのだから、被害者面はするだけ無駄だ。空想の中でくらい、勝手に生きてもいいんじゃないか?

甘えるなとか言うやつもいるが、そいつはただ自分がなにに甘えているかを自覚していないか、あるいは甘えようとする他者に嫉妬しているだけだ。

基本的に、人は甘えられないのが辛いのだ。孤独が恐ろしいのだ。悪徳は孤独から端を発するのだから。

 

無論、無責任になったとて、すべての責任が放免になるわけではない。

どちらかというと、「俺のことを許して」というマインドではなく「俺の非じゃねぇんだよ」というマインドだ。

その態度によって受ける罰はあるかもしれない。まあ、しょうがない。それも受けるがいい。責任を負えないなら、その代わりの罰を受けるのだ。罰を背負いきれないと思うなら、自分のためにも、最初からやらないほうが良い。罰から逆算して、「まあこの程度だろ」で適当に行動するがいい。

この程度だろの目算通りに罰を受けて、それで許されるならバンザイではないか。許してくれてありがとう!という話だ。罰すら与えられなくて、許された気がしないというなら、それ自体が罰なのだから、お前はすでに許されたも同然である。

 

人生と小説は同じだ。同じだから、人生は小説を模倣しうるし、小説は人生によって形作られる。イコールの関係だ。だから、色んな小説のマネをして、やりたいように生きろ。世界に甘えろ。わかったな、このボケが。

分断感

現代は分断の病に陥っている。

俺は時代の被害者であり、2年前ほどから徐々に躁鬱を発症し、年々酷くなっているのを昨日くらいに自覚した。

そして、ただいまバイオリズムが躁に振れている。

 

客観的に見て、この躁鬱は治らないであろう。

俺には治る環境もなければ、自身の状態を自身の力だけで周りに伝える技術もないからだ。

ただ、鬱の世界は沈んでいくだけである。浮上の夢などは見るだけ無惨なものである。せめてもの救いを求めるなら、タナトスに従って死んでみるがいいだろう。

俺が死のうが、お前が死のうが、世の中は変わらない。死は世の中にとって一般的なことで、個人にとってだけ特殊である。もし社会性に囚われているなら、停止した生というフィクショナルな世界観を逸脱して、死によって現実へ回帰することを強くオススメする。無論、死んでまで社会復帰するのはバカバカしい事だが、自分の命は自分で削るほうがマシだ。

 

分断されざるを得ない。

俺はすでに社会的意義を大半失って、存在を否定されるだけになってきている。ここから理解されようと考えるだけ、徒労に思える。

所詮、他人は他人に過ぎないのである。

現代では、人の輪はテリトリーを守り、新たな輪の歓迎を良しとしない。文化的に繋がろうという気は一切ない。ただ、内部に直接落とし込まれた要素だけが、無機質に消費されていくのである。

 

まあ、抽象論で説明するよりも具体例を上げるが良かろう。

近年、動画の切り抜きが流行っている。

クソガキはタイパという言葉を使って切り抜き文化を説明しようとするが、結局はあれも分断のひとつだ。

動画内に存在する深さを抽出しているに過ぎない。

言い換えるなら、グラデーションの一部を指定して、その指定部分だけを味わっているに過ぎない。

生成AIなんかにも同じことが言える。

今の時代、テキスト・画像・イラスト・音楽など、なんでも生成できるわけだが、その生成に使われるのはプロンプトだ。つまり、文化から抽出された要素。文化を形成している一部分を使って、近似値的なものを生成している。

 

いったん感覚の話に戻させてもらう。

オリジナルのコンテンツというのは、特定の言い表せない空気感を内包している。

対して、AI生成された近似値コンテンツからは、その空気感は失われる。

これは好悪や善悪の問題ではなく、ただ質感に差異が表れるというだけのことだ。

ひょっとすると、AI生成を享受するユーザーは、オリジナルの持つ空気感に価値を感じていないのかもしれない。そのことにユーザー自身が自覚的か否かは関係ない。彼がオリジナルに求めているのは、あるひとつの要素であって、総合的な独自の空気感ではないかもしれない。

仮にそうであるなら、オリジナルとはもはや不純物の塊であり、一気に価値を落とす。オリジナルは様々な角度から要素を分解され、分解された要素は一人歩きし、他の分解された要素との再結合を繰り返す。

そして氾濫するのは、深みを失った表面的なコンテンツ郡である。これらは表面的で不連続な要素と結合し続けたため、コンテンツとして停止している。不連続の産物が、孤立した状態で浮かんでいる。このコンテンツには歴史などなく、伝統もないため、ただの表面的な再結合でしかない。

 

言葉もそうである。

現代は語彙力という言葉が誤解されている。

語彙力というのは、単に言葉をたくさん知っていて、いつでも濫用できる力ではないはずだ。

そもそも言葉とは、原始的に向かう先を持つものではないか。自分のために扱う言葉は、単なる遊戯ではないか。

 

要するに、言葉を相手に伝わるよう扱うのが語彙力である。

それらしい言葉のニュアンスだけを歓迎し続けるから、不必要な言葉が増えるのだ。よりセンシティブな言葉だけを好んで、それを扱うことで元来の表現を淘汰した気でいるのか?言葉に優劣を付けて、流行に乗ろうとしているのか?流行に乗るたび、個人が淘汰されていく事実に気付くがいい。

 

さよならだけが人生だ。

だが、さよならの持つ価値さえも、今は矮小なものである。

個人は個人の世界に、徹底的に籠もり続けて、さよならを忘れていくだろう。

それもいい。所詮は交わらぬ運命なのだよ。

俺達はもう、傷付けられるのに慣れてしまったのだよ。

じゃ、さようなら。

不安定な毎日

この記事のタイトルが曲名となっています。

 

半生を反省

半生を反省、なんちゃって。

ダジャレだ。人生は丸ごとダジャレみたいなものだ。下らん事だ。投げ捨ててお終いだ。好きなだけ棒に振れ。だから早く役をくれ。低次元の芝居はよせ。

 

小説のために必要な仕事だった。

要するに、僕は自分の思い出たちを客観的に整理することで、自分の人生の下らなさとか、自分のクズ加減なんかを再認識したに過ぎない。

こんなことをするんじゃなかった。

己がどれだけ美化されていたのか、改めて分からせらられられらた。分かりたくもなかった。

ええ。どれだけ下らんか、数字で教えよう。10段階評価の3だ。悪い。5段階評価なら2だ。差が小さいだけ、5段階のほうがマシだ。だが低評価だ。

屈託のない惨めな気持ち。今も昔も、光に手の届かない僕。無駄な厭世観

嫌になる!嫌になる!嫌になる!

この記事を読んでいる君は、半生反省なんて絶対にやらんほうが良いよ。

 

この記事を読んでいる君?

読むとしても、どうせ友人しか読みはせんだろうに。

いまさらだが、こうしてネットに文章を漂わせる行為は、どんな欲求から始まるのだろうか。

承認欲求だろうか。承認欲求モンスターだろうか。

否定しないよ。だが、承認欲求なんて、慣れてしまえば手懐けるのは容易い。

 

最初から読まれることなんて期待しちゃいないのだ。

ネットの人たちに無視された年月が段違いなのだ、僕という人間は。

これは一種の誇りだ。

誇りということにして、無様を通り越す。かなり前に通り越した。

むしろ、なんかアクションがあったら驚いて、逆に疲弊するくらいだ。

僕は確かに人気者になりたいのだが、一過性の人気ではなくて、持続的な人気が欲しい。

 

一過と持続

こんな時代だから、一瞬だけ有名になることなんて、運が良ければ可能だ。

実力もまあ最低限はいるかもだが、極論、たくさんの人に自分を見てもらえるというチャンスさえあれば、ある程度、有名っぽい感じになれるのだ。

だが、人気を持続させることは、一瞬だけ注目されることとは一線を画す。

ずっと自分に注目してもらうというのは、なかなか難しいのである。

運だけでは厳しい部分があるのだ。

頑張らなきゃいけないのだ。なにが頑張らなきゃだ。んなこと知るかい。へん。

でも、ずっと人気になりたいなら、相応に頑張らなきゃならないようだ。

これは肌感だ。

こんな事実を感じ取る肌なんて、僕はいらなかった。

もっと自分に都合の良い事実だけを感じ取る肌が欲しかった。

保湿が足りなかったのかな。

白人に生まれれば良かったかな。

んなこと的外れだ。些末なことだ。下らんことだ。

 

話は半生反省へ戻り、僕の初恋について

自分の初恋はつこいの話をするのですよ。

例えば、君が夢の中で少女に恋をしたとするだろう。

夢の中で彼女と遊んで、笑い合ったとするだろう。

時間感覚を忘れた永遠の世界で、なんだかもう覚えちゃいないけれど、それはもう素晴らしい体験をしたとするだろう。

で、あくる朝、目が醒めた。

 

死にたい。

ていうか、もう死のうかな。

死んでもいいんじゃないかと思う。

生きていたくないことが、死んでもいいことに繋がる。直通。安易な逃避。

実際、死んでも変わらないのだ。

なにがだ?

なにもかもだ。

自分の死がなにかに対する切り札になることなど無い。

母なる大地に血を返却する。魂を空へ還す。虚無に溶ける。

やたら明日に想いを馳せるから、惨めったらしく生きようなんて思うんだぜ。

生きよう、生きようという健気な掛け声。自分の意思で今を生きることは、それだけで前進だ。美しいものだ。

なんだ、僕は、生きるのを惨めと思っているのか、美しいと思っているのか、よく分からない。

ほとほと呆れるよ、生活の厭らしさには。

な。

話を戻すよ。

最初の初恋の話に、戻すよ。

……だから、僕はもう一度、同じ夢を見なければならない。

少女に会いに行かなければならない。

たとえ相手が待っていなかろうと。

 

ていうか、少女だっけ、だいたいが少女だっけ?

もう顔も声も覚えていない。

二次元っぽかったか、三次元っぽかったか、それさえも曖昧なレベルだ。

男だったかもしれない。

知人だった可能性もある。

でも僕、一人の人間に焦がれたことは、あまりないのだが。

コンタクトの取れない、生きてる世界が違う人に憧れることはあれど、身近な人に対して愛とか感じたことないが。

僕は、恋愛はズブの素人だ。

生粋の不良少年だから、愛なんて知らないね。

愛がどうとか語り始めたら、そいつはもう宗教家か二次元オタクだ。

信用ならんわ。

( ゚д゚)、ペッ

 

空に吐きしツバ、我が身に齎される

バカな。

これが因果応報か。

distorted circle(rearrange)

これは良い出来じゃなかろうか。

って、自分で言ったらあんまり良くないかもしれんな。

だってアレじゃん、良くないって言われたら辛いじゃん。

 

でも良いよね。

ところで、3分の曲に3分の文章を書かないといけないわけ?

僕とて暇じゃないんだ。

詩で代用しよう。

 

波紋。

 霧雨が路地裏を覆っている。肌に伝う冷気が、青褪めた世界を鮮明にする。
 灰色の地面を打ち付けて、微かに漂う雨の匂い。家の戸。ゴミ箱。崩れる波紋。
 地面と同じ灰の壁が、大きく天へ伸びる。曇天を見ると、まるで天井のない箱のよう。

 幻のような光景だった。そして私は、冷えていく体温に震えていた。

good.

気分はどうだ。

僕は良くない。

 

元気だけどなぁ、最近。

ひとつのことに集中してない証拠ではある。

なんでもやりたがるから、なんにもならないんだけど。

 

まだここまでしか書いてないのに、曲が終わっちゃった…

悔しい…ぐぐぐ…

 

昔、ネットでぷよぷよカーバンクルの真似をしたことがある(ネットって範囲広すぎやろ)。

そしたら便乗してきた人にggrksって言われた。

僕は今も、それに傷付いている。

 

それなんなん? 誹謗中傷なん?

脈絡なくksとか言われたら、さすがに僕…あれ誹謗中傷じゃねーか、マジで許さん。

普通、安易にksとかgmとか書かないぜ。神経が麻痺ってるからそんな言葉が出んだぜ。

精神宮が俗世に侵されてるからだ。お前の身体、既に空だ。だからなんだ!

 

ホントに最近ねぇ、昔の記憶に傷付けられすぎなんですけど。

びっくりするくらい良いこと思い出せない。

うそ、本当は何割か良いんだけど…夢とか忘れるじゃん、起き抜け。

 

無抵抗で楽しく暮らしたいだけなんだよ、僕。

ホントは誰にも会いたくないし、お札も握りたくないし、ハンドル放してアクセル全開、シートベルトは犬の餌。向かうは人間動物園。

無抵抗でいると、ほんまにすぐ殴られるから困る。誰彼とか構わず、知らぬ存ぜぬ?

独りでいると先読みの幻聴が聞こえてくるし…いいえ、統合失調症ではない…こんな文章読んだら、そりゃ怖くなるだろうけど、もうちょっと付き合えよ。

 

ごめんやっぱもういいわ。

今、何時だと思ってんの?

喚くなら余所でやれっ!

 

壁、薄。

心臓の音も、呼吸の音も、心の声も筒抜けさ。

 

これ、詩じゃん!

うるせぇ、だって僕は詩人なんだ。

毎日1000回以上は詩を歌わないと、命の飽和点へまっしぐらさ。

四神に願うは安らかな眠り。それを妨げる彼女の髪を、優しくなでり。

リビドーだってフルスロットルだから、僕の声はきっと、君の鼓膜に粘りつくであろう。いうなれば粘液の声紋だ。となると、今日から街は無音ですね。良かったですね。

 

これブログだけど、あっ!!

意外と眼が合いそうだよね。

こんばんわ。

顔文字があったほうが想像しやすいかなぁ

 

(0_0)ギンギン……

 

女子高生のブログ

 空の青さが、私をタメラわせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あのミミモトに、小さな声が届けばいいのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きデス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も、晴天の霹靂。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの雲みたい。

窓から心、トビオリジサツ。

 

女子高生って多感ですよね。

その情感、ちょっと毟って逃げたいかも。

しょうもないポエムっすね

ブランコ

打ち込みばっか出してたけども、別に弾き語りも出していいか。

本当はもっと歌詞で満足したい!と、思っていた。昔は。

前は求めてるサウンドみたいなものが明確にあって、こうじゃないとカッコいくないみたいな拘りがあったけど、今はなんでも好きになれそう。

ビートルズとか洋楽の勉強をし始めた時点で、すでに求めてるサウンド以外のものがカッコいいことに気付いちゃって、探してまで聞きたい音楽なぞなくなった。

だいたい、僕の求めるものとアーティスト側が目指すサウンドがズレてても、芯のあたりで共通するものがあれば『見つけた!』とか思っちゃうわけで。

 

最近、バーチャルユーチューバーのこと好きになろうとしていた。

でも今のところ、例の内輪ノリに苦笑いしかできていない。

内輪ノリってやつぁね、ハマれば最高なんだけど、性格的に受け付けないノリもあるんだよ。

人生哲学だって性格にあったやつを選ぶべきで、わざわざ無理してまで分からない信念を貫く必要はないわけで。

ただ、なんで受け付けないのかな?ていう疑問は、あんまり解決できてない。

 

僕の内輪ノリdata

ニコニコ最初期の雰囲気は好き(冷静に考えると、そんなのあったっけ?てなる)

淫夢はダメ

ヒテッマンリスペクトは好き

ヒカマニは好き

なんjっぽいノリは好き

とうふさん、すこだ……w

シャムさんもいい

たれぞうはよく分からん

aiueo700はただ単に怖い

バーチャルユーチューバーは微妙

ホロライブとにじさんじはノリが違うのかな、でもどっちも入っていけない気がしている

バーチャルおばあちゃんだけはずっと好き

もこう先生も好き

キヨは昔だけ好きだったけど、今はそうでもない。でも僕のお姉ちゃんは好き。だって彼はアイドルになったからね

 

★まとめ

ホロライブ勢のアイドルっぽい姿を見て「なるほど、かわいいな」と思いつつも、なんかこう、ドはまりする感じではないのです。

なんだこのアンダーライン。

 

いわよる個人勢のバーチャルおばあちゃんから、企業勢と呼ばれる戌神ころねとかに飛ぶのって、なかなかハードルが高いのである。

昨日、兎田ぺこらを見ながら悶々としていた。翌朝、頭痛が痛くなっちゃった。

なんでぺこらは加藤純一みたいな喋り方になっちゃったの?これじゃ加藤純一が女性背信者になっただけじゃねーか!いっちゃん最初の自己紹介の動画では、なんか初々しくて良かったのに!

 

別に義務でも仕事でもないのに、途方もなく疲れながら、しばらく何回も見ようと思います。

僕だってバーチャルユーチューバーのこと、好きになりたい!

そしていつかバーチャルユーチューバーになりたい!

 

こう、わちゃわちゃしてるの見ると、すごく羨ましい気持ちだけになって…………僕ってこんなに孤独で…………天才ゆえ孤独ですね…………ふふ、やっぱり僕にはsyrup16gしかない。

 

最近聴いたやつ

ビートルズシザーハンズみたいな名前のアルバム(ストーンズの人が駄作って言ってたやつ、普通に良かったけど)

ポリス(彼らは2枚目と4枚目がいい。いいよね)

レディオヘッド(キッドAは安眠用、好きなのはベンズとオケコン)

オアシス(いまいち良さが分かってない。まだワンダーウォールしかハマってない)

コールターオブザディーパー(たまたま聴いたcatっていうアルバムの1曲目が好きだった。ボーカルは残念ながら女の子じゃなかった)

ゆら帝(キャリアすべてがかっこいい。解散理由もかっこいい)

グレープバイン(どのアルバムも好き、カップリングとかも好き)

ジャルジャル(そうじゃないよ~ ぜったい~)

ビーズの稲葉のソロ(思ったのの7倍ほど暗い)

 

最近読んだやつ

辺境の老騎士(きっちり硬派。面白いけど、地味なもんだから地名とか忘れる。マップいる)

無職転生(世界設定はかなり綿密。主人公のキモさも嫌いじゃない。死の扱い方とか、主人公の変遷がかなり好き)

破滅フラグ(はめふら。女版の鈍感主人公)

異世界はスマートフォンとともに。(アニメから。話の展開がフラットでむっちゃ速い)

あとは本好きとか、盾の勇者とか、リーングラードあたりを義務教育として読んでます。

 

今の僕は自分の小説を書くのに夢中です。完成するまで誰にも見せません(トールキンリスペクト)。

『……』とか「! そんな!」みたいな、三点リーダーや感嘆符の使い方を勉強しております。

すでに完結している僕の小説が読みたかったら、ぜひコメントをください。読みたいって言ってくれる人にしか見せたくない内容ですので。

なろうで書いた450000字のひっでぇ小説もどき(でも僕はその作品を愛している)ですが、期待せずに読まなければ面白いのではないかな? むー、面白くないなら読まなくたっていいもん、でも書いてる時は楽しかったんだぞ。今はもうマトモに読み返せないけどね!

自分で評価するなら☆1ですね。でも、頑張ったから☆3くらいはあげたいですね。

De røde Sko

タイトルはアンデルセンの童話『赤い靴』の原題です。なぜ原題を持ってきたのかというと、かっこいいからです。

件の童話ですが、最後に女の子は足を切断されるわけです。可哀そうだと思いませんか?だいたい、なんで茨の中で踊らされなければならないの?一体、私がなにをしたっていうのかしら。失礼しちゃうわ……ハッ、そっか、僕は僕だ!あまりにも悲劇に没入した結果、ものの見事に感情移入してしまった。

僕はハイヒールで延々踊ることなんてできません。すぐに足を挫きます。

え?ハイヒールを履いたことあるのかって?それはもちろん。ママの使っていたヤツを好奇心で履きました。なんだこの靴!?歩けないじゃん!ジャンプもできないじゃん!衝撃もそこそこに、靴から足早に去っていきました。

足だけに……いや、靴だけに……ね(ちくせう、伝わりやしねゑんだろう、こんな洒落――そう考えて、ふと僕は背後を確認した。すると、そこに立っていた見目麗しき少女!彼女は惜しみない拍手によって、僕へ賛辞を送ってくれたのだ!)。

デ ロード スコ 絶対こんな読み方じゃないんですけど……じゃあなんと読む。デは確定として、ロードのとこはなぜか"o"に斜線が入っていらっしゃるもの。

 

"o" ← 顔文字ができてしまいました。

 

ともかく、この斜線入りoは、アルファベットではないナニカである。 何語ですか?何語であろうと、僕はただ自分の感覚を信じ抜くのみだ!つまりこのアルファベット、アルファベットじゃない!なんだ?アルファベット以外の言い方がない!文字!?文字って、そのまま過ぎますよね。工夫の欠片もない。センスの塊から破片を拝借したい。

もしかして、この文字はこんなひもじー気持ちから生まれたのかなぁ。ということは、このoの如き斜線付き、センスの塊を分断しているのか。すなわち、読みはナンセンスだ。

 

デ r ナンセンス デ スコ

で、あーる ナンセンス デスコ

 で、あーる。ナンセンスディスコ

 

『ナンセンス・ディスコであーる』。

もういいわ、なんも書くことないし。曲を聴いてください!!!