ハムスターになりたい。室内ペットになり、お世話好きな女の子に飼われたい。
そうすれば、僕はいつでも可愛い女の子に話しかけられ、愛でられ、心渇く隙間なんてなかろうと思います。充実した毎日。渡される適度な餌。毛並みは手入れされ、相応に太り、優しい空気に獣心を癒やされる。
しかし、僕は残念ながらハムスターではありません。ハムスターならどれほど良かったか、考えは止まぬほどですが、すべては徒労です。僕はハムスターではありません。
では、仮にハムスターならば上述の願望をすべて満たせるでしょうか?いいえ、無理です。僕などがハムスターになって生まれ落ちても、事態が好転することはない。路地裏に置かれ、じきに飢え、死ぬでしょう。雨に降られては、ジッと固まって、寒さに凍えながら、この世を知らずに死ぬでしょう。
もしも、死ぬ前に女の子が見つけてくれたら?
そうなれば願望を満たせるでしょうか?いいえ、無理です。
その女の子が面倒を見てくれる保証はない。一時の同情、そして好奇心に呑まれ、僕という命は弄ばれるでしょう。しょせんは小動物、ケージの中に一たび入れば、後のことはコントロール不可能。やがて死にます。
童女の寵愛は三日も保たない。飼われ、空腹以外の心地を知り、また空腹になれば、今度は満腹の夢を見ながら死ぬことになる。知ったゆえ、余計に辛い。こんなことなら、なにも知らずにいたかった。理不尽とすら感じる。理不尽を覚えるだけの知覚を得た不幸すら感じます。
もし童女の忍耐力や責任感が、予想より強かったら?だからなんだというのですか。同じですよ、結果は死です。童女になにを期待しているのですか?童女がハムスターたる僕を救えるか?
そもそも論、僕などがハムスターになってみなさい。日に一度も車輪を回らず、思い立ってはケージの外を眺める、ナマケモノ以下の省エネ生活を送るでしょう。僕は、なにも行動を起こせない。行動を知らないのではなく、知った上で、次の経験まで知り抜いているから、行動できない。しかし、それは結局、傍から見れば行動しない阿呆なのです。そう見られることさえ、僕に行動の力を起こさせない。ハムスターとして生まれたところで、僕には生命のエネルギーが足りないのです。
否、仮に生命のエネルギーに満ち溢れた転生体、活力に満ちた脳を得たのなら?無邪気に車輪を回る健康な脚を得たのなら?そして、すべての幸福を与えてくれる飼い主に恵まれたなら?僕はきっと、初めて人生を愛することができるでしょう……だなんて、またしても否。同じことです。今まで述べたことは、すべて嘘です。
僕は幸せなど感じる能力はありません。不幸になることしか能のない男です。ハムスターになろうとも、本質的に変わりません。これは脳の問題ではないのです、魂の質の問題なのです。どのパターンを引こうが僕は永遠に陰るだけの魂です。三等分しても、四等分しても、パーセンテージにしても、なんにしても、どうしようもなく陰る。陰るために生まれてきて、これからも輪廻の中で転がされ続けるのです。
以上を持って、僕の妄想はなにもかも徒労であるということが理解いただけたかと思います。そして、以上はすべて、あなたの存在に満遍なく当てはまることです。残念ながら、あなたは僕の妄想そのものです。掟の前に跪きなさい。手を合わせなさい。目をつむり、次の妄想を願いなさい。願え。願え。